ボカロ好きってなんだ1

私はボカロが好きです。

ただ、一口に「ボカロが好き」と言ってもその実情は人によって大きく異なります。そもそもボーカロイドというのは、様々な要素が組み合わさったコンテンツであり、注目するポイントも人それぞれだからです。
この記事では、「キャラクターとして」そして「楽曲群として」という切り口でボーカロイドについて解釈していきたいと思います。

「キャラクター」としてのボーカロイド
ボーカロイドには、初音ミク巡音ルカ鏡音リン・レンなどなど、様々なキャラクターがいて、それぞれについて明確なキャラクターが設定されています。この設定は公式設定ではなく、作り手側が(強引に言えば)勝手に設定しているものなのですが、まあボカロというのは作り手の解釈によって作り上げていくコンテンツなのでまあ許容されます。
有名な例を挙げるとすれば、「ねぎを振る初音ミク」です。もともとはOtomaniaさんが「Ievan Polkka」を歌わせた時にねぎを振らせていたのが始まりなのですが、今では初音ミクにねぎを持たせるという概念は初音ミクのキャラクターとして確立されています。

もっと広義に言えば、Project DIVAやプロジェクトセカイに見られるようなボーカロイドも「キャラクター」としてのボーカロイドの形であると言えます。
そして、このタイプのボーカロイドが好き、というタイプの人はアイドル、もしくはアニメのオタクに類似しているということもできます。ボカロ曲の一部は「キャラソン」という性格を持つわけです。例えば、azumaさんの「あなたの歌姫」、cosMo@暴走Pさんの「初音ミクの消失」あたりがそれにあたりますし、もっと広く言えば、IAやv-flower、VOCALOID Fukase(SEKAI NO OWARIのボーカルであるFukaseの声によるボーカロイド)の曲で構成されたアルバムも、キャラソンの一種であるということができるでしょう。

さらに現在は、ボーカロイドの「作り手」や表現する人も含めて一つのコンテンツとされることもあります。それはマジカルミライなどのイベントで顕著に表れ、そのテーマソングとなったOmoiさんの「グリーンライツ・セレナーデ」、ピノキオピーさんの「愛されなくても君がいる」などに表れています。

以上のように、ボーカロイドはキャラクターとして、さらに表現する側も含めたコンテンツとして魅力であるということもできるでしょう。

今回はここまでです。読んでいただきありがとうございました。